丸子城 人気上昇中の山城を歩く

2022年3月16日

最近、山城の人気が高まっているようです。
有名人で城好きを公言している人が増えたせいでしょうか?

ただ、その一方で未だに城というと天守と石垣という固定観念から抜け出せていない人も多いようなのですがね。

ところでこの丸子城、そんな城好きの中でも通が好む隠れた名城として、最近人気急上昇中なのだそうです。
どんなところで、どんな魅力があるのか、おさんぽしてきました。

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丸子城とは

丸子城の概要

丸子城は、静岡市駿河区丸子字泉ヶ谷 にある山城です。

標高139.8メートルの三角(みかど)山を中心に、比高差は110メートル。
自然地形を生かした様々な施設が保存状態良く残っているのが一番の魅力です。

丸子城「本丸」

丸子城の歴史

応永年間に、駿河守護として入部した今川氏の家臣斎藤氏が築城したと言われ、後に今川氏の管理下に入ったとのことです。
その後、今川氏に代わって武田氏が駿河に侵攻すると、駿河西部に残る今川方への抑えとして、大規模な改修が行われたと考えられています。
現状の丸子城の遺構の多くは、この時期のものと考えられているようです。
さらに、高天神城が落城して武田氏が撤退すると徳川氏の管理下に入ったようですが、家康が関東に移封になると、その後は使われなくなったようです。

この地は、宇津ノ谷峠を超えてくる東海道を抑えるという意味で重要な拠点だったわけですが、家康移封後はこの地域の東西とも親豊臣の勢力が入ったため、戦略的価値が下がったということでしょう。

丸子城に登る

丸子城には、主に駿府匠宿のある泉ヶ谷方面と、誓願寺のある大鈩(おおだたら)方面の2か所から登ることができます。

泉ヶ谷方面ルート

駿府匠宿の施設のひとつ、おもしろ体験館の脇から登山道があります。

「丸子アルプス」との立札もある登山道は、最初から階段になっており、梅林の中を一気に高度を上げていきます。

尾根筋に到達すると、小さな社があります。
これは丸子稲荷神社奥宮とのことです。
丸子稲荷神社自体は由緒ある神社のようですが、この奥宮は特別歴史的な由緒があるわけではないようです。

この尾根筋は比較的広く、「駐屯地(外曲輪)」との立札もありますが、実際に城郭の施設かというと、素直にうなずけないように思います。

その後、尾根筋に沿って登っていくと、目の前に湾曲した堀が現れます。
「三日月掘」とされる堀の南端は土橋になっています。
深さは、シダなどが茂っていて少し分かりにくいところもありますが、堀の内側には土塁が積んであることもあって、堀自体かなり深く見えます。
ここが、このルートから登ってきて目にする最初の城郭遺物です。

「三日月掘」。奥に見えるのが土橋。
「三日月掘」内側の土塁

「三日月堀」を超えると「東の曲輪(大手曲輪)」、土塁の間を通って何段か削平地を抜けていくと、広めの削平地「北の曲輪」に続きます。
この「北の曲輪」は、今川時代の主郭なのだそうです。
とくに曲輪の北側に規模が大きめの土塁があるのが印象的でした。

「北曲輪」からは、尾根筋に沿って堀切と土塁によって区画された曲輪が続きます。
「三の曲輪」「二の曲輪」などと呼んでいるようです。
「三の曲輪」は小規模ですが、「二の曲輪」はそれなりの広さがあります。

また、「三の曲輪」の西側には、「堡塁」とされる堀によって区画された削平地も見られます。
こういう構造は、ちょっと珍しいようにも思いました。
「堡塁」までも行ってみたかったのですが、遺構を崩しても悪いので止めておきました。
なお、縄張り図によると「堡塁」の先にも堀と土塁があるようです。

「堡塁」

「二の曲輪」の先、大きな堀切を超えると、丸子城の最高地点で最大規模の広さがある「本曲輪」に到達します。
「本曲輪」周辺は土塁の保存状態も良く、「虎口」と呼ばれる出入り口も3か所確認できます。
「本曲輪」北側の「二の曲輪」とつながる虎口が「桝形虎口」、東側の一段低い削平地につながるのが「平虎口」、西側のものが「喰違い虎口」とのことです。

「喰違い虎口」

この「喰違い虎口」から一段降りると、空堀や土塁が連なる遺構が見られます。
虎口から降りた後は道があるわけでもないので、あまり奥までは行きませんでしたが、いかにも「山城を見てるなぁ」という雰囲気に浸ることができます。

「本丸」北側の土塁

大鈩方面ルート

誓願寺の正面にある木造の橋を渡った正面に、丸子城址の説明版があります。
その近くの道を山の方に進むと、丸子の里自然歩道への案内板がありますが、少しわかりにくいです。

なお、誓願寺についてはこちらもご覧ください
誓願寺で片桐且元の板挟みの人生を想う

建物の間を抜けていくと、階段が現れます。
100数十段の階段で、一気に尾根筋まで上がります。

尾根は比較的広く、最初は緩やかですが、徐々に傾斜はきつくなっています。
縄張り図によっては竪堀などがあるように書いてあるものもありますが、落ち葉も多く今一つ判然としません。
また、傾斜がきつい部分では尾根筋を削ってある部分や、見学路とは別に斜面を横切る道らしきものもあるのですが、これらが後に整備された登山道なのか遺構なのかは、一見では判断できません(縄張り図でも遺構とされていたりされていなかったりと様々)。

最終的にこのルートは、本曲輪の南隅に直接到達することになります。
結局、これぞという遺構に出会わぬまま、いきなり本曲輪というルートになります。
そのため、遺構を確認しながら登るのなら、泉ヶ谷方面からの方が良いかもしれません。

しかし、丸子城最大の見どころといわれる大竪堀は本曲輪の先なので、本曲輪周辺のハイライトだけでも見たいという場合は大鈩方面から登ってもよいでしょう。

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