安倍城址は静岡市街一望の眺望スポット
安倍城からの眺望と遺構
眺望
眺望は期待以上でした。
安倍川の河口付近から日本平(有度山)一帯を見下ろして、さらに国府の外港である江尻湊(清水)まで。
もちろん静岡市の中心部もばっちり見えます。
当日は雲に隠れて富士山は顔を見せてはくれませんでしたが、本来ならば静岡の市街地の向こうに富士山も見えたことでしょう。
南北朝期の合戦って、年がら年中ドンパチやっていたわけではないはずです。
しかも、南朝方・北朝方といっても、彼らのほとんどはイデオロギーの争いをしているのではなく、地域の主流派が北朝方だとしたら反主流派が南朝方を名乗るという形で、地域内の紛争が南北朝の争いとして具現化していくわけです。
その観点から見ると、この場所に南朝方が拠点を構えているということは、地域の反主流派にものすごい勇気を与えただろうなぁ…などと想像してしまいました。
遺構
遺構については、山頂や稜線上の削平地ははっきりしていると思います。
その他、北東側の稜線から頂上にかけて堀切が2本ほど確認できますが、これらのどこまでが南北朝期まで遡ることができるのかはよく分かりません。
他にも、所々に小規模な削平地や竪堀っぽいものもありましたが、どうなんでしょうね。
14世紀中ごろに廃城になったと書かれていますが、16世紀ころまでぼちぼち使われていたのではないのでしょうかね。
戦国期の資料には出てこないのでしょうか?
麓にあり、現在登り口のひとつになっている 増善寺 が今川氏親の菩提寺になっているということからも、継続的に手が入っていてもおかしくないと思ったりします。
ということで、山城にロマンを求めるのは自由ですが、こと南北朝期の遺構については、ほとんど分からないのではないかというのが現状です。
乙女峠~西ヶ谷東口ルート
同じルートで戻るつもりでいましたが、稜線の北東端で来たルートとは別の乙女峠経由で西ヶ谷東口に降りる道標を発見、こちらのルートで降りることにしました。
なお、乙女峠を反対側に降りれば増善寺(慈悲尾)にも降りられるようで、来たルートとは別の尾根筋を降りるルートのようです。
しかしこのルート、結構急坂が多く、また道が一部崩落している部分もあってなかなか大変でした。
道を見失うほどではありませんでしたが、とくに下りは気を抜くと滑り落ちそうな感じでした。
乙女峠には大きな電線の鉄塔があり、そこからは林の中をつづら折りの道が続きます。
ただ、その道はそんなに長く続かず、茶畑の中の舗装された道に降りてくることができました。
その後、一本道をてくてくと歩いていくと、行きに「安倍城→」の道標があった三叉路に出ました。
ということは、道標と反対に行っても安倍城まで行きつけたということです。
下山の方が、距離的に遠回りになったこともあって時間がかかり、75分ほどかかりました。
まとめ
ということで、ちょっと苦労しましたが眺望には大満足の安倍城でした。
独断と偏見でまとめると以下の感じでしょうか。
大変さ ★★★☆☆
道の状況 ★★☆☆☆
眺望 ★★★★★
病みつき度 ★☆☆☆☆
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