安倍城址は静岡市街一望の眺望スポット
安倍城とは
安倍城とは、静岡市葵区羽鳥(はとり)・西ヶ谷・慈悲尾(しいのお)の間にある、中世の山城です。
南北朝期に狩野貞長によって築かれたと言われていますが、はっきりとした史料は残っていないようです。
城址に建っている石碑には、以下の説明が書かれていました。
安倍城
鎌倉幕府滅亡後全国を二分して争われた南北朝時代に、後醍醐天皇が率いる南朝方に加わった内牧を本拠地とする狩野介貞長一族が、北朝方の駿河今川氏と相対していた。狩野氏は広範囲に出城や砦を配置した城塞群を築いた。その本城が安倍城である。後醍醐天皇の皇子宗良親王をこの地に向かえるなど、駿河南朝方の拠点として今川氏との攻防を繰り返してきたが、十四世紀中頃廃城となった。
平成七年十一月 安倍城跡の会
以上の説明の多くは、主に江戸時代後期に書かれた『駿河記』という地誌に由来するようです。
つまり、近世のある時期まで、地元にこのような伝承が伝わっていたということは確かなようです。
まあ、これらが史実かどうか検証できる材料を私は持っていませんが、この駿河の地で、楠木正成ばりの知略にとんだ戦術を駆使したと描かれている狩野貞長が活躍した地と思って登ればまた一興、といった感じでしょうか。
安倍城ハイキングコース
安倍城にはいくつかのハイキングコースがあります。
一番一般的なルートは羽鳥の洞慶院から登るルートのようですが、 洞慶院 は梅園が有名で、訪問した2月はちょうど混雑するのではないかと思い、西ヶ谷方面から登ることにしました。
なお、他に慈悲尾の増善寺から登るルートもあります。
安倍城ハイキングコース 西ヶ谷(西口)ルート
西ヶ谷総合運動場の駐車場に車を置かせてもらい、ハイキングスタートです。
なお、運動場の駐車場ですので、休日や大会が開催されている時などは駐車できないこともあるのでご注意を。
事前に調べても、登り口の情報が見つからず手探りだったのですが、西ヶ谷総合運動場の西口ゲートを出て右手(清掃工場の方)に向かった丁字路のところに、消えかけたハイキングコースの案内を発見。
それによると、ゲートを出て左手の道を進むとそのままハイキングコースに出るようです。
引き返して左手の道を進むと、200メートルほどの三叉路で「安倍城→」の標識を発見。
標識に従って素直に進むと、道は家並みから茶畑、そして林の中へ。
その後山道に入っても、要所要所に案内板があるため、安心でした。
また、ハイキングコース入り口には、地元の方による無料の「貸しストック」が。私は使いませんでしたが、ありがたいことです。
山道に入ると、道はかなり急な斜面をつづら折りで登っていきます。
道幅が狭いところもあり、意外としんどい感じですが、ある程度上の方までみかん畑などが続いているため、仕事でしょっちゅう登られる方もいるんだろうなぁと感心。
途中、木々が途切れたところでは西ヶ谷の家並みがすでに眼下に見えて、なかなかいい気分。
畑が途切れてもう一息登ると、尾根筋に到着。
ここにも道標があって安心。
なお、この尾根筋には、林業の為か最近重機が入った跡がありました。
ハイキングコースに入ってからここまで、ゆっくり歩いて大体20分。
尾根に入ってしばらくはなだらかで快適な登りが続きましたが、やがて傾斜がどんどんきつくなり、徐々にしんどくなってきたところでふっと広い空間に到着。
どうやら稜線に到着したようですが、それでもこの広さは人工的に削平されたものと思われます。
ここまでくるとあとは楽チン。
段状に削平された稜線を3段ほど登ると頂上に到着です。
尾根筋から頂上まで30分くらいでした。
次は「安倍城からの眺望と遺構」
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